今までの活動
- 2009年9月
スリランカ1回目の訪問「トリンコマリー」の知事より、日本向けマンゴーの栽培は可能なのかの調査依頼で訪れました。「ジャヤワルダナセンター」にも訪問し、今後のスリランカ復興支援の大きなきっかけになりました。
「サンフランシスコ講和会議」での”ジャヤワルダナ氏”の言葉
- 2010年3月
スリランカ2回目の訪問古都の「キャンディ」、世界一の紅茶産地の「ヌアラエリア」などを中心に、内戦地を除く地域を視察して回りました。
ホテルからの「キャンディ」の眺め
- 2010年6月
スリランカ3回目の訪問スリランカの中心部の「トリンコマリー」「シーギリヤ」「キャンディ」を中心に視察を行いました。主に、スリランカの農業作物の生産状況を調査しました。
- 2010年10月
スリランカ4回目の訪問再び、スリランカの中心部を主に調査しました。「キャンディ」にある「ベラデニア大学」を訪問し、その後、植物園にて、スリランカで生産するマンゴー・パパイヤなどの品種を選定しました。
- 2011年4月
スリランカ5回目の訪問世界最大の紅茶生産地の「ヌアラエリア」で、紅茶摘みを体験させていただくことができました。また、移動中のタイ国際空港で、大阪の”平野氏”と意気投合し、今後のスリランカ復興支援の流れがいい方向に一変しました。
- 2011年8月
スリランカ6回目の訪問スリランカ内戦復興支援の支援体制を築く為のチームを結成しました。そのチームで、内戦の激戦地まで訪問しました。その後、「ブッタラマ」「ランブッダ」「シーギリヤ」の農村地帯を調査しました。
道路を歩くゾウ
- 2012年5月
スリランカ7回目の訪問スリランカ内戦復興支援のチームも12名になりました。今回は、大阪の”平野氏”の配慮で、スリランカの宝石王の”グルゲ氏”の娘の結婚式に参加させていただくことになり、盛大なスリランカの結婚式を経験しました。スリランカの”ジャヤバクサ大統領”も出席されており、交流を深めることができました。結婚式場が、スリランカ南部の「ハンバントータ」でしたので、南部の地帯を調査し、”グルゲ氏”のパパイヤ農園も訪問することができました。
グルゲ家にて
- 2012年9月
スリランカ8回目の訪問NPO法人「スリランカ復興支援会議」を立ち上げました。理事長に、「近代経営研究所」の”栗谷利夫所長”になっていただき、NPOの会員募集を募りました。おかげさまで会員は、約半年間で500人を越えました。会員とともに、スリランカで、パパイヤ栽培を興すことにより、現地の生活の安定化に努めようと誓いました。
- 2013年2月
スリランカ9回目の訪問果物などを日本に輸出する為に必須である、燻蒸施設がスリランカには無いことが判明したため、設置に向けて動き始めました。「スリランカ日本大使館」「JICA」「スリランカ政府」「日本の農林水産省」などに訪れ、要望を提出しました。
- 2013年6月
スリランカ10回目の訪問”栗谷利夫理事長”と初めてスリランカに訪れました。行き先は、内戦の激戦地の一つである「ジャフナ」です。現地は、内戦の傷跡がいたるところに残っていて、荒廃していました。これまでの視察と調査の結果、パパイヤの生産に取り組むことが日本とスリランカ両国にとって、良い作物だと判断しました。よって、「ブッタラマ」にパパイヤ農園を設置する方向で、調査と現地の地主との交渉に取りかかりました。しかし、インフラ整備に費用がかかることと、時々水が確保できない状態でしたので、断念しました。ここには、原生している『コタラヒムの木、サラシア』を栽培することにし、土地を2エーカー購入して200本植えました。
栗谷理事長と、海をバックに
- 2013年10月
スリランカ11回目の訪問パパイヤパイロット農場をスリランカ内部の「バーデニア」近くにある日本のNGOのオイスカの事務所の一角に設置し、パパイヤを600本作付けしました。今後のモデル園にするために、整地と植え付けには非常に神経を使いました。
パイロット農園の整地と植え付け作業
- 2014年2月
スリランカ12回目の訪問パパイヤが、生産・収穫された後の対応の為、物流、加工、日本への輸出などへの調査を開始しました。燻蒸施設が無いという問題があるため、加工した作物しか輸出ができません。従って、現地の大手食品加工会社の「ヘイレス」と交渉しました。
- 2014年6月
スリランカ13回目の訪問モデル園として作った、パパイヤパイロット農園のパパイヤがついに収穫ができるようになりました。
パイロット農園に実ったパパイヤ
- 2014年8月
スリランカ14回目の訪問パパイヤの収穫ができた為、収穫祭と輸出祝賀会を、「コロンボ」のヒルトンホテルで行いました。
収穫記念パーティ
- 2014年11月
スリランカ15回目の訪問オイスカの事務所に設置したパパイヤパイロット農園が、2ヶ月以上も続く雨の影響で、全滅しました。長期間の雨が降ることを我々は予想してなく、自然の脅威に打ち負かされました。支援の夢が途絶える危機に直面しました。
- 2015年3月
スリランカ16回目の訪問内戦の激戦地であったスリランカ北部の「ワウニア」にある「SEED」というNGOと出会いました。前回の大雨による大打撃で諦めかけていた内戦復興支援も、またゼロからのスタートを決意しました。しかし、「SEED」との交渉は難航しました。理由は、日本人が「ワウニア」に訪れたのは初めての事だったために、相手からの信頼を全く得ることができませんでした。
- 2015年6月
スリランカ17回目の訪問「ワウニア」を訪れて、「SEED」との支援協定を結べるか、協議しました。しかし、理事長の”バスキー氏”との結論には至りませんでした。パパイヤの輸出については、スリランカの食品加工会社最大手の「ヘイレス」との協議がスムーズに進み、パパイヤをピューレ状に加工することにより輸出を行うことになりました。
「SEED」の”バスキー理事長”
- 2015年11月
スリランカ18回目の訪問パパイヤの飲料を発売しようという企画を「ヘイレス」に持参しました。「ワウニア」の「SEED」との支援協定については、14件の生産者が、パパイヤの栽培をしてくれるように、話がまとまりました。
「ヘイレス」の職員と開発したパパイヤジュース
- 2016年4月
スリランカ19回目の訪問パパイヤピューレの輸出が、順調に進む中、「SEED」のパパイヤ農園は、それぞれ14件の生産者の取り組みに大差がありました。 今後、一定の品質で生産できるように、指導を随時行うことが必要だと感じました。
「ワウニア」の人々
- 2016年7月
スリランカ20回目の訪問「SEED」本部から、パパイヤの苗が5000本不足していると報告があったので、「スリランカ復興支援会議」から5000本を補給し、対応しました。
- 2016年11月
スリランカ21回目の訪問「SEED」のパパイヤ農園を視察に訪れたところ、見違えるような素晴らしい農園に変化していました。作付けできるような状況じゃなかった、脱落した農園も優良農園になっていました。14件に増えた生産者たちが、毎月、満月の夜に集まって勉強会をしていたという事実を知り、涙が溢れました。パパイヤによるスリランカの復興支援は、きっと成功する。そう確信した私は、芝刈り機と収穫の際にパパイヤを入れるコンテナを送ることにしました。パパイヤ栽培が戦後の生々しい傷跡の残る「ワウニア」に根付いた瞬間でした。
美しく整備されたパパイヤ農園と女性生産者
- 2017年2月
スリランカ22回目の訪問順調に動き出した「ワウニア」での支援活動は、軌道に乗ったと感じたため、NPO法人「スリランカ復興支援会議」は、解散することにし、諸手続きを行いました。その後「SEED」に訪れ、それぞれの農園を回り、日々立派に成長するパパイヤと、生産者たちが作り上げる素晴らしい農園を目にして、感無量の気持ちになりました。「SEED」の”バスキー理事長”から、「次の支援をしていただくことはできませんか」と思いがけない一言をいただきました。NPO法人「スリランカ復興支援会議」は解散したばかりでしたが、「なんとかできるように考えます。」と返事をしました。スリランカ内戦復興支援の第二段へ、一歩を踏み出しました。
立派に成長するパパイヤの木
- 2017年6月
スリランカ23回目の訪問NPO法人「スリランカ復興支援会議」を解散したので、次の支援を行うために新たな会社を設立しました。それが弊社、「ASO LANKA」です。「ワウニア」の「SEED」には、「ASO LANKA」から、引き続き支援をしていくことになりました。支援を継続していくには、財源が必要になります。支援していく地域や生産者の生産物を、日本で販売することで、財源を確保し、支援を続けられるのではないか。との思いで作られたのが「ASO LANKA」です。
- 2017年10月
スリランカ24回目の訪問スリランカ中央部の古都「キャンディ」にある、スリランカ最高峰のお寺「仏歯寺」に、梵鐘の撞木を贈呈しました。その様子は、スリランカのテレビに取り上げられ、スリランカ全体に放送されました「ワウニア」のパパイヤ農園の支援も順調に進んでおり、我々の訪問にも豪華な食事を用意して歓迎していただけるようになりました。今回の訪問で、スリランカのスーパーマーケットを訪れたところ、パパイヤについて、「ワウニアのパパイヤは美味しい」という話が出るようになりました。
「仏歯寺」に梵鐘の撞木を贈呈
- 2018年1月
スリランカ25回目の訪問今回も「ワウニア」の「SEED」を訪問しました。今後の支援の流れについて、「パパイヤ」と「アムラ」という特別なフルーツを生産しようという話になりました。梵鐘の撞木を贈呈したスリランカ中央部の「キャンディ」にあるお寺「仏歯寺」を訪れたところ、梵鐘のクリーニングの依頼がありました。また、訪問前に、日本の企業からスリランカからの外国人就労者の要請があったため、スリランカに派遣会社を育てることにしました。
- 2018年7月
スリランカ26回目の訪問引き続き、「ワウニア」のパパイヤ農園の指導に当たりました。総じて取り組みは順調で、生産者たちの要領も良く、「SEED」の担当も熱心でした。農園には、パパイヤ6000本、アムラ1000本が植えられていました。大統領補佐官(官房長官)の”オウスチン氏”と面会し、生のパパイヤを輸出に向けて、燻蒸施設の早期実現を依頼しました。その後、「JICA」を訪れ、燻蒸施設は年内には設置可能との良い返事をいただきました。
ワウニアの農地にて
- 2018年9月
スリランカ27回目の訪問ワウニアの第3次支援が実っているか、現地での確認を行いました。10ヶ所の農園でパパイヤが6000本、アムラが1000本栽培されており、活気のある農園に成長していました。更に今回は、日本での仕事を希望している外国人実習生の為のトレーニングセンターのコンサルタントに加え、日本語学校の設立に向けて動き出しました。スリランカの国会議員でもあるコロンボ大学の”アーシユ氏”と、教育上の交流も推進する事も決定しました。
現地の仲間”サマン氏(左)”と大阪大学教授の”黒田教授(右)”
- 2019年1月
スリランカ28回目の訪問今回の訪問の始まりは、復興支援の拠点であるワウニアのSEEDからでした。 目的は、今までの支援に引き続き、第4次の支援について検討するのが目的でした。 今までは生産支援でしたが既に確立できたと考え、これからは販売に重点を置いた支援にしたいと提案しました。
具体的には①苗木(パパイヤ、アムラ)の供与。 ②草刈り機の供与。 ③集荷コンテナ(100ケース)の供与。 ④ 販売担当者の設置助成 等を提案しました。
④の支援についてSEEDの役員会にかけないといけないので検討したいとして次回に結論を出すことにしました。
現地の農場をみて回ると、立派なパパイヤ農場になっており象や長雨の被害を受けないことを祈り、その場を後にしました。
コロンボに戻ると、多数の面会者と会いました。
国会議員のアッシュ氏との面会では、日本企業とのIT事業の連携をお願いされました。
他にも、フカヒレを日本へ輸出したいとの相談、 技能実習生の日本への派遣、それに併せての日本語学校の設立。 シナモン、サラシア、アムラ等の流通についての相談がありました。
内戦地の復興支援からスリランカの産業振興まで弊社の今後の事業が拡大しそうです。
SEEDのメンバーと
パパイヤとアムラの農園
- 2019年4月
スリランカ29回目の訪問4月24日から訪問する予定でしたが、21日に突然スリランカでテロによる爆弾事件が起こり、大混乱となりました。その為訪問を中止しました。
7月7日にスリランカ内戦復興支援の10周年を祈念する催しを予定していました。私の活動拠点の熊本県からも40名の参加を予定しておりましたが、残念ながら安全面を考慮し延期することにしました。
今回は、それらを延期したことのお詫びと、支援の課題についての競技の為に訪問することになりました。
空港に到着した時の雰囲気は、ちょうど10年前の内戦が終結した時と同じように、活気を失っていました。
着くと同時に車に乗り換え、北部のワウニアに向かい、SEEDと第4次支援の協議を行いました。
第4次からは販売面に支援の軸を移す考えでしたが、SEEDでは生産面における支援を望まれました。
今回で10ヶ所の農園も仲間に加わり、計44ヶ所の農園を支援していきます。
以前から、パパイヤの生果を日本に輸入する為に、日本とスリランカの関係者に要望してきました。その為に燻蒸施設が必要でありましたが、やっと導入されたと知らせを受け、視察に参りました。しかし、それは研究用途の極めて小規模で、到底商業用には程遠いものでした。
今後は、生果の輸出・輸入に向けて、設備の見直しなどさらなる努力をお願いしました。
また、日本の輸入に関する品物の拡大も両面で速く解決するよう要望し、互いに改善をすることを確認しました。
互いの取り組みが無事に実り、糖度が、パパイヤ13度、パイナップル18度、マンゴー20度以上の素晴らしい果物が、日本で安く食べられる日が実現できればと願っております。
- 2020年2月
スリランカ30回目の訪問スリランカの訪問も30回目となりました。
今回の訪問は、私が体調を崩してしまった関係から、前回の29回スリランカ訪問からおよそ半年あまりの期間が空いてしまいました。
また、コロナウイルスの問題が世界中で広がる前でしたので、ぎりぎりのタイミングで行くことができたと思います。
今回の目的は、10件の農場を調査する事と草刈り機を提供するためでした。
別件で人材を日本に派遣するための派遣会社の体制強化と日本語学校の充実指導に参りました。
加えて、果実の日本への輸出拡大をはかるため関係機関に要請して回りました。
当時のスリランカは、コロナウイルスの問題も目立ってなく、間一髪で帰国する事が出来ました。しかし訪問から翌々月の4月にはコロナウイルスで大変な事になっています。
スリランカも日本より遅れて感染が広がっています。
暫くは訪問する事もできません。
長くなれば支援もできなくなるかもしれません。
心配しています。
- 2021年2月
30回目の訪問から現在まで2020年3月から2021年2月までの1年間日本もスリランカもコロナウイルスで全く動く事が出来ませんでした。
スリランカのパパイヤ農家やシードの皆さんの安否を心配していました、 また、元気であられるよう祈っていました。
訪問出来ないため支援する事も限られていますので、現地ではマスクもままならないのではないかと思い4個の体温計と1万個のマスクを送りました。
シードのバスキー理事長からお礼のメッセージをいただきました。
訪問出来ないなら他に支援はないかと考えスリランカを訪問した仲間と賛同する方とスリランカの若者を日本に来て勉強して貰いお世話する団体を作る事にしました。
外国人技能実習生支援事業です。
団体名はスーパーフード協同組合です。
人的交流が始まれば有効は更に深まると思います。
また、 経済交流も段取りしています。
原産国であるムクナ豆の輸入に取り組みを敷島さんが取り組まれました。 また日本業務食品の高木社長がスリランカのお茶のパウダーを注文していただいております。
2021年スリランカと日本のコロナウイルスが1日も早く沈静化する事を切に祈っています。
スーパーフード協同組合
- 2022年5月
30回目の訪問から現在まで②
2022年の活動はコロナウイルスの関係でスリランカ訪問もままならず2年3ヶ月も伺えない状態なので現地の状況が気になっています。
2020年にはコロナ対策として マスク、消毒液、 体温計 等を送りました。
2021年には食料品や衛生品を支援しました。
今年はコロナ対策より国の財政難による生活関連の支援要請があり以下の物を送る事にしました。
Rice Sugar Condeng milk
Dhal. Tea
Curry powdel
Chillie pouder
Mackerel. Soya meat. Nestomalt
等を要望されました。
asolankaの役員会を5月14日に開き了承を得て現地のコロンボのサマン氏に連絡し支援する返事を致しました。
内閣は辞職し新たにジャヤワルダナ初代大統領の孫になる方が総理になられと聞きました。
日本か第二次世界対戦で敗北した特に行われた講和会議(サンフランシスコ講和会議)で日本を擁護してくれましたセイロンの代表者ジャヤワルダナの孫に当たるとの事です。
日本と身近くなるのでは無いかと期待する次第です。
コロナも落ち着いて、財政の安定見通しが立って来る事を祈る次第です。
バブニアのパパイヤ農家の平穏を祈るばかりです。
そして再会できる事を楽しみにしています。
- 2023年5月
第31回スリランカ訪問2020年4月を最後に3年ぶりの訪問となりました。
今回の目的は2つあります。
まず一つ目が、過去に支援して来たNGOやパパイヤ農家が、コロナウィルス感染症と国家財政破綻の影響でどうなってしまっているのかの確認。
もう1つは、スリランカの国家経済破綻の影響で食料が十分にいきわたらず、子供たちの栄養失調症が50%にも及ぶという現状から、給食支援を行う為です。
訪問は7名で行く予定でしたが前日に1名がコロナに感染、当日に1名が狭窄症にかかりチェクイン寸前でリタイヤーされ5名での訪問になりました。
飛行機でコロンボまで8時間55分かかります。高齢者には少々苦痛です。コロンボ空港にはサマン氏が迎えに来てくれました。3年ぶりの彼は、なんだか少し痩せた気がしました。
到着した翌日、ついにスリランカでの行動が開始されます。8時30分ベガサスホテルを出発し、ワウニアという村へ向かいました。
今回の目的のひとつであるNGO「SEED」の訪問とパパイヤ農家を訪ねるためです。
ホテルから出発し、7時間の道なりでした。
現地ではSEEDのバスキー理事長がお待ち頂いておりました。
早速、「パパイヤ農園はどうなっていますか?」と尋ねますとバスキー理事長から「まだパパイヤ農園の実態調査を行っていませんので、早急に報告書にまとめます」と、言われましたが、現在のスリランカの厳しい現実を語られました。コロナウィルス感染による外出禁止、ロックダウンや、政府の方針で肥料の配布がなくなり、さらに国の財政破綻の影響で物価高によりパパイヤ経営が出来なくなったとの話がありました。また最近では治安も悪くなっております。麻薬やテロのうわさが出始めています。
NGO「SEED」の建物内にて
コロナの発生した時、ASOLANKAから消毒液や体温計、マスク、ビタミン剤等沢山送りました件は大変喜ばれ、お礼を言われました。【参照:2022年5月30回目の訪問から現在まで②】
SEEDの中にもコロナに感染したもの多数おりパパイヤ農家の方々にも分け与えました。多くの方々の力になることが出来ました。
バスキー理事長から「この度は栄養失調の子供達へ給食支援をなされるとの事で感銘をうけます。今回は隣接のタンテェリマレーのタラマパーラ、コレージで行われますが、SEEDでも行って頂ければ幸いです」と、言われました。食料不足は思っていた以上に深刻のようです。
NGO「SEED」の玄関にて
給食支援を1回だけで終わることは真に栄養失調症の改善にはなりません。
日本からの食糧生産にかかる方策を指導しないといけないと思います。
例えば、有機肥料の作り方とか、イモや豆、トウモロコシ、米栽培技術など、課題は多くあります。
SEEDでの打ち合わせで時間も無くなりましたので、1か所だけパパイヤ農家を訪れました。
以前支援した優良農家の一つです。1000本を栽培され収益も4倍から5倍挙げておられたシングルマザーの家庭です。当時子供も15歳から16歳でしたが結婚して子供も3人(孫)もいて、私たちを覚えておられ歓迎を受けました。ですが残念なことにパパイヤ農園は無くなっていました。
パパイヤ農家の家族と
しかし畑は整地されていて、いつでも植え付けが出来るように管理されていました。再起の時を願うばかりです。
整備され出番を待つパパイヤ農場
次は訪問の目的の一つ、学校で子供たちへの給食支援の日です。
この学校にしたのは、文部省の勧めでした。貧しい地域の学校です。以前は家庭で3食べられていたのが2食になり、2食していたのが1食になり…学校給食もないので、食べ盛りの子供たちに栄養失調が多く表れているようです。
子供たちの大半の両親は出稼ぎにアラビアに行き、祖父母が面倒を見ているとの事です。
スリランカの厳しい経済事情が垣間見えます。
11時30分に目的地のタラマパーラ、コレージに着きました。
門の入り口では、校長、副校長先生方そして子供たちの大歓迎を受けました。
来賓席に座らされ、校長先生が長く挨拶をされましたが、シンハラ語なので内容が解かりませんでした。その後、中高校生の女性が踊りを披露してくれました。
キャンディダンスとは異なる珍しいリズムの踊りでした。
学生たちの踊り
セレモニーが終わり、いよいよ給食の時間です。小学校1年から2列の順番に並んで皿を持って料理を受け取りに来ます。
最初は阿曽田が注いでやり、次に今村さん、村上さんが注いだのちに先生方が我々に代わって料理を注いでもらいました。
食事を振る舞う様子
沢山の人なので料理が足りなくなるといけないと思い皿に少なめに注げば、子供たちが私のスプーンを取り上げて、大盛に注いでいるのを見て、思わず苦笑しました。
大きなお皿で食事
子供たちと1時間以上続きました。子供たちが終了し父兄さんまででしたので、人数分足りるのかなと心配でした。料理を作った人方に聞くと多めに作っていますので、大丈夫でしょうと言われましたが、心配でした。最後に並んだ人たちが数人となったのを見て安心しました。用意した総数700人余りが完食されました。
多くの方で賑わいました
全員に給食が終わったので、学校の施設を見て回りました。飲料水にするろ過施設、図書館、校長室、教室棟を見て回りました。
日本とは格段の差でした。教育環境施設の整備も悪く改善の必要がある国だと強く思いました。
帰り際に、子供たちが私たちを取り囲み、色々聞いてきます。小学校の子供はひざまつき手を合わせて頭を下げてきます。礼儀正しさには感心しました。
日本には決してない事です。
感謝の気持ちを伝えようと集う子ども達
そして太った子供は見かけませんでした。子供たち全員が美味しかったと笑顔満面でした。私は子供たちに頑張れよ。青年になったら日本にいや熊本に来いよと励ましの言葉をかけて、学校を後にしました。
すがすがしい感動でした。
翌日は移動日です。キャンディからコロンボそしてネコンボへ
キャンディでは仏歯寺に行く者、骨董店に行く者、シルクを買いに行く者、宝石を買いに行く者、それぞれ自由行動でした。私は孫にシルクを買いに行きましたが、いいのがなくコットンのTシャツを土産に買いました。
コロンボでも日本へのスリランカのお土産を買いました。
最後の夜は最高のリゾートホテル「ジェットウィンブルーホテル」に泊まるのが恒例です。
スリランカの最後の夜を楽しみました。
スリランカの海を背に
スリランカ滞在最終日です。本日は残る課題を消化する事にしています。
9時にネコンボにある光日本語学校を訪れました。ここの卒業生を技能実習生や特定技能者として受け入れたいと思い訪問しました。
ちょうど5か月研修が終了した日に当たりましたので、卒業式に参加してほしいと言われました。挨拶と卒業証書授与に立ち会い証書を渡す事になりました。厳しい日本語講習を行われているようですが、N5はもとより、N4を取得できるように厳しく指導されているようです。
卒業式の様子
午後はサンランカとキョダイランカという会社をお訪れました。この会社は私共の海外アシスト協同組合と提携した送り出し機関です。
今年の6月に介護の特定技能で来ていただくクラボーダさん(中央)です。
日本に来る予定の2人と村上氏
スリランカでの目的をすべて消化した我々は、19時50分発コロンボ発で、一路成田へ向かいました。御協力賜りました皆様方には厚くお礼申し上げます。素晴らしい旅でした。
直前にキャンセルされたお二方の高木和憲様、武島武法様の病気が気になりますが、帰国したら快復のメールが入っていました。
- 2023年7月
第32回スリランカ訪問【7月3日(水)】
午後6時、松橋の「宇城彩館」に集合。午後8時の飛行機で成田に向かいました。
今回のメンバーは9人、気心の知れた仲での訪問団となりました。
現在スリランカは国家財政再建に取り組んでいる最中であり、国内貧困にあえいでいる現状であります。その様な中、今回の訪問の目的(ミッション)は、
1.そんな中で特に貧困地域であるリディマリヤダ地区の青年を育成する事
○リディマリヤダ地区の青年を日本語と技術の基本を学ばせる学校を創設、修了した青年を日本に来てもらい、更に日本語都技術の習得、そして文化を学び、スリランカで生かしてもらう事を目的とする。
2.栄養失調の子供が多い(国内の約40%が栄養失調)地区の学校で給食支援を行う。
○前回(昨年の5月)は小・中・高の一貫校で約650名に給食を提供した。今回は小規模な小学校(ヤハレガマカレッジ)約70~80名に提供する。前回は現地のメニューで提供したが今回は日本食で訪問者の手作りで提供。
3.食糧支援について
○前回もコメの種モミとサツマイモの苗を持参。今回はサツマイモのみ栽培する。
前回は種モミをNGO法人Seed(パパイヤ農園造りを指導した団体)と(株)ASOLANKAのスタッフであるサマン氏にお願いしていましたが、実現できず。今回はサツマイモを実際に栽培(植付)まで実演して来たいと考えております。場所は農業講習所とリディマリヤダを考えております。
【7月4日(木)】
10時35分のスリランカ航空で行き、17時25分にコロンボ国際空港に着きました。
いつものように、サマン氏とカピラ氏の出迎えを頂きました。
今日、初めて泊まるグランベルホテルに到着。
外国人の実習生・特定技能者と送り頂いているキョウダイランカのクリシャンタ日本代表の出迎えをホテルで頂きました。
その後、日本学校や食糧支援の打合せをしました。
【7月5日(金)】
8時30分にホテルを出発しました。コロンボ市内は車が混雑しますので、早く出発することになりましたが、コロンボ市内を抜けるのに予想以上に時間がかかってしまいました。
シーギリヤに昼までの到着予定でしたが、14時近くなり、昼食を済ませてシーギリヤロックとなり、大幅に遅れました。
皆さんシーギリヤロックに2時間30分かけて登頂され、シュンクリ汗をかかれておられてたが、充実感に満ちていました。
シーギリヤロックを背景に記念写真
その後、スーパーマーケットに行って、翌日の給食支援の準備のため、日本のカレーの原材料を買い出しに行きました。
約80食分の材料(米、じゃがいも、玉ねぎ、人参、鶏肉)を仕入れました。
メニューは、日本カレー、白玉団子、ラーメン(2種類)、現地の子供達が嫌ってはいけないので、スリランカの焼き飯と揚げ物を用意することにしました。
明朝7時からホテルの厨房をお借りして、料理を作ります。エプロンを西岡さんが10枚提供いただきました。
今日、訪問の目的の一つである給食支援です。
たくさんの料理を用意することができました
【7月6日(土)】
朝の7時からホテルの厨房で材料の仕込みです。9名みんなで80人分の料理に取り掛かり、10時には完成しました。ホテルの従業員も手伝ってくれました。
カレーの出来はまずまず美味しかったですが、子供達が気に入ってくれるかが心配でした。
現地のスタッフが学校側と打ち合わせて、日本カレーが子供達に合うか分からないので、焼き飯を80人分作ってました。白玉団子(ぜんざい)もデザートとして作りました。
炊事軍曹の村上真由子さんがハッスルしてましたが、ベテランの西岡みち子さんから皆が調理作業の要領を教えていただき、スムーズに出来あがりました。
エプロンが目立ったのでしょう。ホテルの料理長から記念に頂けないかと相談を受けました。
11時にヤハレガマカレッジ(学校)に料理を持っていきました。この学校は小学5年生までの小さな学校でした。
校門の前で校長、副校長の出迎えをうけ、子供達が花束を用意してくれました。
子どもたちの出迎え
校舎内の広場でセレモニーがあり、珍しい踊りを披露していただきました。
12時30分から給食開始です。
歓迎のダンス
まず、日本のカレーを食べていただきました。美味しいとお礼を言ってきます。大人が腹いっぱいになる位食べていました。更にラーメン、そして白玉ぜんざいを食べ上げていました。
そこで質問しました。日本のカレーとスリランカのカレーはどちらが美味しいですかと聞きますと、低学年が日本のカレーと言い、高学年はスリランカのカレーとの返事でした。
食事の様子
現地スタッフが用意した80人分の焼き飯はどうなるのだろうかと思っていましたが、大きな皿を持って子供達が並びだしました。そして、その80食もたいらげてしまいました。前回同様、満足な食事にありついてないのがわかりました。
支援後にホテルで汗を流し、次のシーギリヤに向かいました。
【7月7日(日)】
ホテルを出て、まず薬草園に行き、スリランカの薬草の品を買いました。
今日はハードで約300km、それも山道を見ることになりました。
リディマリヤダ庁舎(市)を訪れました。このリディマリヤダ地区は、スリランカでは最貧地区と言われるところです。
皆さんとの記念写真
40人余りの多くの方が待っておられ、訪問の目的を説明いたしましたところ、真剣に聞いていただき、2カ所の家も見に行きました。
私が「この地の若者が日本に来て、働いて学んでください。私たちが受け入れのお手伝いいたします。それには、日本語を勉強してください。勉強するチャンスを提供します。」と話しましたら、真剣に聞いておられました。
熱心に話を聞く皆さん
会場を出て3時間余り、紅茶の産地ヌワラエリアに向かいました。
【7月8日(月)】
標高2,000mのホテルに泊まりました。寒くて風邪ひきそうでした。スリランカは暑い国と思って薄着していましたが、風邪を引いたようです。
ホテルの周りは、紅茶畑で素晴らしい景色でした。
今日、最初に訪れたのは紅茶の工場でした。工場見学の後、試飲しました。美しいミルクティを頂いたので、最高のBOPFをお土産に買いました。
次にキャンディの仏歯寺に参りました。
私はキャンディにある送出し機関に挨拶に行き、特定技能の農業と介護の人の履歴書を頂いてまいりました。 仏歯寺に行った一行は、お釈迦様の犬歯を見に行ってくれました。
今日のホテルであるネゴンボのジェットウィングCに夜7時30分に着き、長旅の疲れが溜まりました。
【7月9日(火)】
いつもはネゴンボのリゾートホテル、ジェットウィングブルーに泊まっていましたが、日本の円安、スリランカの物価高でワンランク下げてジェットウィングCに泊まりました。プライベートビーチがありましたので、西インド洋の美しさを楽しむことができました。久しぶりにゆっくりして、10時にホテルを出ました。
午前中に送出し機関のキョウダイランカとサンランカ日本語学校を訪れました。スリランカの送出し機関として、送出しが一番多い会社です。日本語教育でも介護を希望する方が多く、レベルも高くなってきているようでした。技能実習生よりも特定技能を希望する方が多くなっています。
午後から食糧支援の一つとして、さつまいもとキンショウメロンの植え付けを行いました。
作付けの様子
暑さが厳しい中頑張りました
前もって畝を作っていただいておりましたので、さつまいものツルを90本植えました。30度以上の暑さなので、乾燥してツルが植えつくのか心配でしたので、充分な水を与えることにしました。雨が降ることを祈りました。
皆さん35度の暑い中でも作業を汗だくでして頂きました。頭の下がる思いです。私は標高2,000mあるヌワラエリアで風邪をひき、役に立たなかったのが、申し訳ないほどでした。
また、私たちが帰国後のスリランカからの報告では、さつまいももキンショウメロンも生育は順調との報告で安心しました。大きな広がりになればと思います。
植え付け後、スリランカ日本教育文化センターを訪問しました。
ミーガハテンネ・チャンダシリ氏(真ん中オレンジ服)を囲って
僧侶のミーガハテンネ・チャンダシリ氏と面会して、僧侶から「日本と新たな展開を考えていきましょう。教育に関する民間の財団を」と提案がありました。どんな方法があるか考えてみますと答えて寺を後にしました。
この寺は、国会議事堂に隣接していて、湖に面しており素晴らしい環境にありました。
夕方の5時、保健福祉大臣のアマペ・パマスクール氏が面会したいと話がきましたので会うことにしました。
役所の大臣大接室で会いました。なぜ会う事になったのか、そのキッカケは、大臣の支援者の子供が日本に来ていて、私の組合にお世話になっているとの事でした。
しかし、大臣の思いは他にもありました。
1.麺の製造を進めたい。
そのための製麺機を導入したい。日量1t程度の機械で麺組合で製造したいので協力を。
2.新たな作物はないかという事でした。
今村さんがムクナ豆の話をされましたが、スリランカのムクナ豆はあまり認識されておらず、日本産ムクナ豆の見本をいただかれました。
経済活性化の協力を要請されました。
19時からスリランカ最後の夜となりましたので、晩餐会をすることにいたしました。
最後のスリランカの夜を楽しむ皆さん
新しいホテルのレストランで開催しました。関係者含め30名余りが酒も入り大いに盛り上がりました。22時過ぎまで皆さん満足気味でした。
ゆっくり浴槽のある高級ホテルグランベルホテルで1週間の汗を流し、明日は日本へ帰国となります。
【7月10日(水)】
朝は10時にホテルを出発し、市内観光(日本空軍兵士戦没墓地、ジャヤワルナダセンター、日本館会館、ギャラリーロード)最後のお土産買い物を済ませ、お別れの日本料理で「桜」で昼食を済ませ、コロンボ空港へ。
スリランカのアソランカ(サマン、カピラ)の皆さん、キョウダイランカの皆さん、他多数の皆様のご協力に感謝申し上げます。
- 2024年11月
第33回スリランカ訪問
訪問者
橋本康多朗
阿曽田清
今回の訪問の目的は①皇帝塩(橋本)の塩の購入②最貧地区、サディマリヤッダに日本語学校を開設、③前回訪問時に植えたサツマイモの定着と普及等を目的に訪問しました。
11月16日成田のホテルで集合し、17日にスリランカ航空でコロンボに向かいました。出発時に2時間遅れで出発しましたので、コロンボ着は夜の8時を過ぎました。お出迎えをサマンさん、アマンディさん、クリシャンタさんが来ていただきました。
18日は朝6時30分にホテルを出発しました。目的地ハンバントータまで4時間かかるとして10時の約束です。
最初の目的地ランカソルト社に伺い、皇帝塩の橋本専務を助っとする立場で訪問しました。
過去2回、橋本社長や専務が訪問しておられたが、具体的な交渉も出来ない状況でしたが、今回は社長の出迎えを頂き、幹部の方々と2時間余り協議が出来ました。
ランカソルト社と皇帝塩の取引取引契約と専属契約を向かうべき踏み込んだ話も出来ました。結論は29日にチヤーマンと社長とで協議しますとの事でした。契約書も用意して提出してきました。
ランカソルト社はどんな会社か協議の中で分かった事ですが、国営企業である事、規模は従業員(正社員1,000人、臨時2,000人)
塩田面積1,700エーカー(720ha)生産量10万トン(スリランカでの算出の半分)と聞き驚きました。
2025年にはスリランカの塩が初めて日本に来ることになるでしょう。
祈る思いであります。
ランカソルト社を後にしたのは、午後4時、明日はリディマリヤッダの日本語学校に10時までに訪れることになっていましたので、リディマリヤッダの近くまで行っておこうと近くのホテルに移動しました。
遅くなりましたので、途中のスーパーで食料品を買い、ホテルでランカソルト社との契約が成功する事を祈って乾杯しました。
今日の行動時間は15時間にも及びました。
19日も朝7時にホテルを出発し、リディマリヤッダの日本人学校に向かいました。10時の開校にギリギリ間に合いました。
会場には120名の生徒さんが待っていてくれました。
前回7月に訪問した際に「日本語を学んで、日本に来てください。」
実習生や特定技能で来られますので、日本語を勉強してください。そうすれば私共が皆様を受け入れます」と話を致しましたのを聞いていた方々が、リデェマリセッダ地域の方に広められたところ、240から250名の申し込みがあったとの事でした。その中で120名を第1期生として勉強しているとの事でした。
120名の生徒さんに校長先生、サンランカ(日本語学校)の理事長が熱っぽく話されました。(内容はシンハラ語なので分かりません)
そして、30分ほど通訳を入れ私が話をしました。
会場の生徒さんは熱心に聞いておられ、真剣さを感じました
話の中で質問をしてみました。この中でトラックの運転免許を持っている人は手を挙げてと聞きますと、5~6人の人が挙げました。
バスの運転手をした人は何人いますかと聞きますと、5~6人が手を挙げました。この方々にはN4とN3を取得すれば、日本に来れますから、日本語を学んでくださいとお願いしました。
女性の人も20人程おられましたので、介護を必要としていますので、N4の取得をお願いしますと話しました。
学校での話や質問が終わりましたので、別件の相談です。
このリディマリヤッダでサツマイモの栽培をしても良いと思う方は残ってくださいとトウシャン(前回サツマイモを植えて管理をお願いした方)が皆様に声をかけました所、11名が残ってくれました。
トウシャンが苗20鉢のサツマイモを持ってきましたので、各自に配布しました。
11名の名前と住所と電話番号を聞いておられました。
各自に生育状況を報告するようお願いされていましたし、沢山植えたい人はつるを送るので言って欲しいと言われました。
それで私が来年、又来ます。そのときは成績の良かった人を表彰しますと言ったら、大いに盛り上がりました。
簡単な昼食をとり、コロンボに向かいました。着いたのは夜8時を過ぎていました。今日もハードな1日でした。
20日の朝はやっと8時に朝食をする事が出来ました。
身体がだるい感じがしましたが、気合を入れ、トウシャンが迎えに来てくれましたので、前回植えました「サツマイモ畑」を見に行きました。前回は90本の
ツルの苗を植えましたので、50kg~90kgは採れたでしょうか?
と聞きましたらトウシャンが15kgしか取れなかったとの事でしたので、なぜ?と聞きましたら、ネズミの被害を受けたと、スリランカのネズミは子猫位の大きさです。ツルの内は食べないが、実になったら食べられるので、対策を講じないといけません。防除対策は何かありますかとの事でしたので、ソーラ一式モグラ撃退器を提供しました。
ネズミの被害を防げるかが問題です。
また別の場所2か所にサツマイモの栽培を広げてくれてました、トウシャンに感謝です。
西岡先生からサツマイモのツルで佃煮を作って頂きましたのをトウシャンに試食してもらいました。
美味しいと言ってくれました。どうやって作るのですか?と聞いてきましたので、来年西岡先生が来られるから、レシピをお願いしてみなさいよと話しましたら、ニッコとしてうなずきました。
このサツマイモでアイスクリームを作ろうと思いますと笑って言ってました。午後からサンランカに行って、日本語を学んでいる生徒さんたちと意見交換を行いました。12月に熊本の老人施設に来る3名の介護の女性とJA熊本宇城に来る3名の女性と面談する事が出来ました。
予定より1か月も遅れているので、申し訳ない気持ちで6名の方にお詫びいたしました。
夕方、JIKAの南優香さん(青年開発協力隊、宇土出身)が2年前からスリランカで環境問題を担当されておられるので、会う事が出来ました。小柄な体格ですが、ファイトあふれる頼もしい人です。来年の2月には日本に帰る事で、しばしお茶しながら会話を楽しみました。
夜はサマン一家と食事会でした。いつもの”桜”で家族会みたいでした。
21日は送出機関と方々と交流しましたが、運転手の可能性のある会社の社長と幹部の方で協議しましたが、日本語のわかる運転手は少なく、日本語の教育を実施している会社は少ないようです。
クルネーからの送り出し機関が中東に出している大型の運転手は多数いるので、その運転手に日本語を進めてみるとの意向でしたが?
頼ところはvsp禍キョウダイランカのようです。
夜はギャラリーの店で夕食を日本語教師の聡美さんも交えて懇談会をしました。すごく落ち着いたレストランでした。
22日最期の日になりました。
お土産を買いに行き、紅茶を仕入れました。
高級な紅茶、シルバーチィプス,ゴールデンチップスを買い、紅茶にこだわりの方々に買いました。
今回は忙しいスケジュールでしたので、成果は少なかったようです。
いよいよスリランカ訪問も最終章に入った感がします。
34回か?35回?でバトンタッチしたいと思います。
スリランカ訪問スケジュール
11月16日(土)
熊本19時55分発→成田21時35分着(ジェットスター)
(泊)成田、東横イン成田空港
成田市取香560本館
11月17日(日)
(スリランカ)
成田11時20分発→コロンボ17時30分着(泊)コロンボ
11月18日(月)
コロンボ(高速道)→ハンバントータ(3時間)(1)塩の取引の協議
(泊)ハンバントータ、グランドパールリゾート
11月19日(火)
ハンバントータ(2時間)リディマリセッダコロンボ
(1)日本語学校
(2)運転手や林業の囲い込み
運転手は特定技能、林業は実習生(3)サツマイモの普及
(泊)コロンボ
11月20日(水)
リディマリセッダ→コロンボ
(1)サツマイモの試験圃と普及畑の視察
モグラ、ネズミの対策
(泊)コロンボ
11月21日(木)
(1)送出機関の訪問
(2)行政機関の訪問
11月22日(金)
予備日
コロンボ20時35分発→成田8時10分8分(泊)機内
11月23日(土)
成田8時10着
成田16時55分→熊本19時15分(ジェットスター)
(泊)コロンボ
今後の活動は、随時更新をしていきます。