スリランカとの出会い
『憎悪は憎悪によって止むことなく 愛によって止む』
2009年、私は、とある依頼で大学の後輩とスリランカを訪れました。
依頼の内容は、スリランカの北東部に位置する「トリンコマリー」という街の知事から、マンゴーの栽培の可能性を探ってほしいとの事でした。
これが、私にとってスリランカは初めての訪問でした。
スリランカの国際空港、「バンダラナイケ国際空港」に到着し、車でトリンコマリーまで向かいます。目的地には、おおよそ8時間程かかりました。
トリンコマリーまで、国道沿いに多くの兵士が見張っており、途中、2度検問をうけました。テレビで見る戦時中のような風景でした。
多くの兵士と度重なる検問の理由は、後ほど理解することができました。
スリランカで、30年近く続いた内戦が終わって間もない時だったのです。スリランカには、”シンハラ人”と”タミール人”の大きく分けて2つの民族が存在します。
お互いの民族同士は衝突し、争い、内戦へと発展しました。「トリンコマリー」という街はタミール人とシンハラ人が混じった地域の内戦地でもありました。
衝撃の事実を知った後、調査に取りかかりました。
マンゴーの栽培の依頼で訪れている私たちは、ジャングルを歩き、土壌分析や河川、湖等を調査しました。
結論は、まずインフラの整備、農地整備、用排水等の基礎条件を時期早々に整える事を優先的に取り組み、港や空港へのアクセスや流通、燻蒸施設等の体制製備を進めるべきだと報告しました。
無事に調査が終わって帰国する日、私たちは、スリランカの大都市の「コロンボ」にある「ジャヤワルダナセンター」を見学に行きました。
内戦の事実から、そこでもまた、私にとって「目からウロコ」の出来事がありました。
大戦後の1951年に開かれた「サンフランシスコ講和会議」の事実です。
戦争の敗戦国である日本は、アメリカ・ソ連・イギリス・中国から、4つの領土に分割される危機にあったのです。
しかし、その時壇上に上がって、多くの国を前にして日本を分裂させるのを反対した方がいらっしゃいました。
その方こそ、スリランカのジャヤワルダナ大統領でした。
賠償請求を求めず、日本にもう一度チャンスを与えないでしょうか。
当時は、大蔵大臣という立場にありました、ジャヤワルダナ氏ですが、会議に出席している数々の国の代表たちの心を動かし、会議の流れを大きく変えました。
敗戦後の、日本が国際社会に復帰するきっかけをジャヤワルダナ氏は作ってくれたのです。
今の日本があるのも、ジャヤワルダナ氏の勇気ある発言のおかげだと言っても良いでしょう。
彼が、スピーチの中で話した、「憎しみは憎しみによっては消えず、愛によってなくなる」という言葉は、歴史に残る名言になっています。
結果、日本を擁護なされたおかげで、日本の安全が守られ、損害賠償権も放棄されました。
内戦が落ち着いたスリランカは、いわゆる戦後の状態です。
私は、60年前の恩返しを日本はすべきだと心に誓い、何かできないかと仲間に想談し、「ASO LANKA」の前身である「NPO法人スリランカ内戦復興支援会議」を立ちあげました。
内戦復興支援の始まりです。